2014年8月16日土曜日

Monacoinって何?暗号通貨とはなにか?お金とは何か?

 今回取り上げる題材はは、胡散臭いとされがちな暗号通貨について考えて行きます。
 関わるにせよ、関わらないにせよBitcoinやMonacoinに代表される暗号通貨について知っておかなければならない事が有ります。考える事は、まず知る事から始まります。そして、世の中に流されず正と負の側面を眺めなくてはなりません。
 暗号通貨を儲け優先や、危ない物と、一つの視点から捉えるのでなく、社会的な意味を20分ちょいとでさらっと考えて行きましょう。


 Mt.Gox社の経営破綻やBitcoinの盗難被害によって皆様の中での印象は、「第二の円天」と言う捉え方に凝り固まってるかと存じます。私もそうでしたし、そう言った警戒心は有って得はしなくとも損はしないので一つの選択肢とも言えます。 むしろ、引き止めるのが怪しいねずみ講で、引き止めないのが一つ大きな違いだと、一人の暗号通貨利用者しての考え方でも有ります。来る者は拒まず、去る者は追いません。
 では、そんなBitcoin,Monacoinに代表される、暗号通貨とは何なのか、貨幣とは何か,人の欲に因る資本主義と社会主義,共産主義勢力の失敗,様々な視点から一緒に考えて行きます。
 まず、現在の身近な貨幣には3種類有ります。
1,流通量に物量的制限の有る硬貨
2,流通量に物量的制限の無い紙幣
3,後払い式のクレジットカード
 3は言わずもがな便利ですが、他人にカードを使われる危険性や、人によっては自制出来なくなるのが欠点です。今度扱う予定の事件は、他人にカードを使われるタイプの犯罪についてを予定しています。
 さて、1,2について考えてみましょう。
 まず、流通量に物量的制限の有る意味について考えてみます。例えば、物量的制限の厳しい金貨や銀貨、これらはどんなに経済が乱高下しても一定の価値を持ち続けます。国によっては、地金型金貨,銀貨と言って価値の保障すらしています。例えば、メイプルリーフ金貨や、ウィーン金貨、シルバーイーグル等が、代表的な国家によって価値の保障された金貨や銀貨です。部分的な金本位制や、銀本位制ですね。
 こう言った制限の大きい金貨や銀貨は、少しの量でより多くの物が買えます。貨幣の方の価値が高く物の価値が低いのです。これを、身近な円で例えて円高物価安と呼んでみようと思います。
 片や、紙幣はどうでしょうか。恐らく何も考えずに、額が大きくて便利な物だと誰もが思って使いますし、普段私もそうです。
 そんな紙幣には、隠れた欠点が大きいのが特徴です。例えば日本なら政府が、刷ろうと思えば幾らでも日銀に刷る様に要求が出来ます。そして、希少性は気付かぬ内に低下を始めます。当然、円に対し物価は上がります。しかし、喜ばしい事でしょうか。昨年、1,000円札一枚で買えた商品が2,000円になったと考えましょう。こうなっても基本時給は上がるでしょうか、大抵ほんの少ししか上がらないのがオチです。物価の上昇が意味するのは、ともすれば貨幣の価値を下げ、負担も増える物だと覚えて起きましょう。円安物高とでも言えます。極端な話、紙切れにさえなる事も有り得ます。
 しかし、どうでしょう。紙幣には信頼と言う物が有ります。「この紙幣は本物」と皆が暗黙の了解と信用を持っている為、何処でも商品と交換出来る訳です。無論、政府も通し番号などで、信頼を高めようと努力を続けます。しかし、番号なんて幾らでも充てれば良いのですから、希少性の欠如はどう足掻いても紙幣には認めざるを得ません。幾らでも刷ろうと思えば紙幣は刷れるのです。0を足して無限に、額を増やす事さえ可能です。しかし、国家が一番やっていけない事の一つでも有ります。信頼と言うあやふやな代物は無くなってしまうでしょうから。ただ、そこまで行かなくとも巧妙なやり繰りは色々有ります。
 逆に無限に増えると偽った、分かり易い良い例は、それでこそ私がつい数か月前まで違いの判らなかった「円天」です。後は、大戦前のドイツも紙幣の価値が没落しました。その為に、「ゲルマン民族だけは救う」と言う国家社会主義者の心地好い演説と確かに実を結んだ経済政策の成功に酔いしれ、国民が餌に釣られた形でナチスに傾倒して行きました。日本円も戦時国債として、一回やってしまいました。今がそうだとは言いませんけど、何時でも起こそうと思えば出来るのが非常によろしくないですね。
 さて、話を戻しましょう。こうやって刷られた紙幣達は、給与として個人の懐に入っても税金として国債の返還に充てられる。少し可笑しいと思いませんでしょうか。国債とは前の世代に国が借金した貨幣のハズです。それは、貸主不在の借金の様な物です。なのにまた、新たな貸主から借りて返済しようとする。まるで、国全体がサラ金地獄にハマってるかの様な状態です。
 額面の増加だけを見つめる金融依存型の資本主義経済は、こうして歯止めが利かなくなります。
 資本主義陣営の大御所アメリカでも、つい最近中央省庁が一斉に休まされる事態にまで陥りました。本当の事言っちゃえば、国なんですから御得意な「公共の福祉の為に」死んだ貸主に返さなくても良いのでしょう。それよりは、未来に投資する為に増税されたいですね。数十年後の社会福祉計画の為に今から増税されるのなら、自分の身ですから払う気にもなります。 資本主義は変な所がいい加減で、変な所が堅苦しいんです。過去なんか振り返んない、
「明日を見て投資するのが資本主義だ」
位の気前の良さと、過去に縛られない柔軟な発想を持って欲しいです。所謂、粋ってやつですよ。
 こうして考えると、物やサービスを国から提供される社会主義や共産主義の方が良いのでは無いだろうかとすら考える人もいらっしゃるかも知れません。しかし、どちらか一辺倒の国家は大抵上手く行きません。
・利益を追求し、何か新しい物事を追い求める欲張りで人間臭い資本主義。
・国が国民のある程度の経済交流を許した上で、助け合おうとするも難しい社会主義。
・国民が国の所有物であると振る舞う、少々横暴な歴史を繰り返した共産主義。
色々な考えが有る事だと思います。
しかし、
どの思想も私からすれば、失敗と過ちを繰り返して来たと感じています。
成功した主義思想を訊ねられたら、
「強いて言うなら有りません、人間自体が不完全だから仕方無いです」
と私は答えます。私達の世代の投票率低下が叫ばれるのは、こう言った冷めた見方の方が増えてるのも原因だと思います。
 さて、ではなぜどの思想も失敗したのか考えてみましょう。失敗から学べば何か見つかるかも知れません。
どの思想も失敗した原因は、
「人々の際限無き欲求に歯止めを利かせれなかった」
これに尽きると思います。
 どんな主義思想の中ででも、人は食欲、色欲、睡眠欲のみならず、承認欲求と金銭的欲求が人間を人間たらしめる、因果なもので人として生きる楽しみでも有ります。
 左と見られがちな社会主義の中で極右思想として、国家社会主義を牽引した、ナチスドイツ。国民を鼓舞して、第一次世界大戦から驚異の復興と、当時としては先進的な雇用福祉を編み出した所までは評価出来ます。しかし、欲は増大し、ユダヤ人虐殺の傍ら、ソビエトにもフランスにもイギリスにも喧嘩を売り、衰退して行きます。二正面作戦ならず、三方作戦とも言える程に、領土を欲張りすぎたのです。
 金融依存型資本主義国家、アメリカもそうです。欲の為に義理人情を捨て、冷戦時代にソビエトとの代理戦争の為に、米軍が中東で指導したゲリラ達の存在は余り知られていません。今のアルカイダやタリバンに繋がります。現地で大勢のアメリカ人兵士とテロリスト達が亡くなる原因はアメリカにも有ったのです。元々、米ソ対立もルーズベルト大統領が結んだ戦後復興支援策を、トルーマンが無かった事にしたのも原因の一つです。そう、核をチラつかせてね...しかし、米ソに蹂躪された中東の不安定材料は軍需産業の見本市と化してます。決定打をアメリカが下さず、意図的に間延びさせてる節も大きいです。又、かつて、日本に開国を迫った数十年後には、自国以上に大きくなる日本に嫌がらせをし始め、その結果が真珠湾攻撃です。アメリカと言う国は、欲の為に義理人情を捨てる度に、飼い犬に手を噛まれるのです。そして、噛んだ犬は飼い主に殺され、飼い主もしばらく痛手を被る。資本主義を高らかに掲げる割には、双方の結果を統合したすると何も産まないどころか、利益がマイナスになってる事が多いです。アメリカと戦うのも、アメリカが戦うのも馬鹿らしいので止めましょう。
 そして、欲張りな中華人民共和国。国の成り立ち自体がそもそも内戦による侵略国家と言う稀有な大国です。前述のアメリカが国内での財政悪化で戦闘機開発が遅れる中、急速に軍拡を進めています。又、大躍進政策で目先の工業化等への為に、燃料として粗悪な樹木を大量に切り崩した結果、土砂災害が多発。飢餓を誘発して、仮にも建国の父であった毛沢東は政権を追い出される程に見放されます。それでも飽き足らず、彼は文化大革命を起こし、険悪になってた社会主義,共産主義の諸派閥を自分中心の者に塗り替えようとすらします。古くは、民族は違えど、元も巨大化しましたがやがては衰退して行きました。
 又、急速に資本主義化を進めるロシアも、ソビエト時代にスターリン一人の欲求によって、毛沢東同様牛耳られてた時代が有ります。それに、旧ソ連圏は、大量にクレムリンに搾取されていた時代背景が有ります。ウクライナ問題は、かつてソビエト中を虐げたソビエト連邦共産党の残党とも取れる、「祖国」と言う政党が旧ソビエト圏を取り戻さんと新ロシア派を裏で糸を引いてる説が有力です。他にも、ロシア連邦共産党なるレーニン・スターリン主義者の政党も有りさえします。恐らく、現在のロシア政府としては、兵器工場の多いウクライナとは友好国では有り続けたいのに、彼らの帝国主義的思想によって阻まれています。資源や経済の為に、軍需産業の拠点でも有るウクライナは手放せないのは事実です。かと言って、奪い取る様な思想ではソビエトの失敗を繰り返すだけでしょう。又、ロシア中央政府も彼らを止めたいのはやまやまですが、東欧への軍事的注力は恐らく中国のロシアとインド侵攻を許すだけです。二正面作戦で失敗するでしょうが、それでも斜陽のアメリカに次いで、ロシアがパワーバランスを崩す訳にはいかないのです。
 さて、領土、政策、金融、そして戦争。どれも欲張りすぎると失敗するのは大日本帝國の例に漏れず、USA,USSR,CHINAどんな超大国でも繰り返して来た歴史です。
 この中でも、戦争が起きる前に金融が可笑しくなった例は非常に多いのです。世界恐慌に、国民一人当たりでは割が合わない急速な経済成長、社会主義や共産主義への転換、資本主義の先鋭化、社会主義や資本主義から資本主義への大転換、色々なタイミングで世界大戦や冷戦、ユーゴ紛争等が起きてきました。
 何故でしょうか、それは貨幣が恐らく人間の欲を最も簡単に測れる指標であるからです。既存の金融依存型資本主義が妙に可笑しい事については先述で述べた通りです。
欲の指標で有る貨幣の桁数が暴走すると言う事は、人間の欲も暴走しているのかも知れない」
と私は考えます。
 その点、物量的制限が有る金貨や銀貨は欲の指標として適切かも知れません。高価が故に、本当に欲しい物が有る時、大事な時にしか使わず、換金せずに眠らせておく事が出来ます。それに無駄な経済交流が、一見資本主義を支えてる様で、資本主義を弱らせてるのだとしたらこれ程滑稽な事は有りません。
 しかし、現代社会において、金や銀の利用は普段使いとして現実的では有りません。そこで、編み出されたのが、これから述べてくBitcoinやMonacoinに代表される暗号通貨と呼ばれるものです。端的に言えば、デジタル化された近代的な金や銀です。
 これらは、物量的制限を数学と暗号技術によって、一切の人の意思が介在せぬままに上限を迎える様にプログラムされた経済交流システムの一つです。いわば、新たな第四の貨幣です。アドレスと呼ばれる一種の口座番号を指定する事で、銀行より非常に素早く、少ない手数料で振り込む事が可能です。
 先述した様に、貨幣とは何なのでしょうか。ここまで読んで考えてみましたでしょうか。みんなが確かだと言って、商品との交換即ち売買に使われれば貨幣と述べました。その上で、物量的制限が有った方が、崩壊しにくい安定した価値を産むのでは無いだろうかとも私は述べました。しかしそれだけでは無いかも知れません。国を簡単に跨げるインターネットに金や銀を乗せた意味は大きいです。世界中が共通の通貨を用い、通貨によって適度に欲を制限される可能性も出ているのです。それに、戦争等をしたら、その国への送金は利用者同士が共謀して止めてしまうでしょう。
 これは大変興味深い事で、数学や暗号,桁数に依存して支配していた金融界が、数学や暗号に因って世界を牛耳れ無くなってしまう皮肉な状況に陥る可能性が高いのです。暗号通貨とは、システム自体が金融依存型の資本主義を好しとしない共産主義的な意味合いが少しばかり有るのです。でもそれは、金融界で無く、利用者どうしが価値を高め合う原始的な資本主義でも有ります。暗号通貨は、資本主義と共産主義や社会主義が歩み合える可能性が有るのを示唆しています。 
ウォール街とクレムリンが近くに接する様な位、金融業界で無く利用者本位の通貨になる可能性を秘めています。
 さて、そんな興味深い存在ですが、人類が太古の昔から用いてる金貨や銀貨と比べ、最近の歩みはどうだったのでしょうか。
 Bitcoinがどんどん新規発行された頃は1Bitcoin=数百円が精々良い所でした。しかし、既に発行量の上限に近付きつつあるBitcoinは多くの人の手に渡り、海外では使われ始める段階に入っています。ここ半年で価値が急落しても、4万近くまで下がった程度です。今現在は6万円。まぁそこそこの大きさの金貨一枚と思えば妥当な値段です。数千円前後まで価値が下がってもおさいふケータイと思えば便利かも知れません。
 一枚単位でしか支払えないのかと思われる方もいらっしゃるでしょうが、小数点単位で支払いに用いる事が出来ます。かつて1円が銀貨で、数十銭でも高価だった頃の様に。
 新規発行は全利用ユーザー対全利用ユーザー間のデータのやり取りを、分散して処理するATMの様な事をして下さるボランティアの方々によって支えられており、そのATM役の方のPCの処理性能つまり仕事の出来る奴に多くのBitcoinが報酬として割り当てられます。割が合わないのに、システムの維持に尽力する。そう、この奉仕精神はWikipediaやユーザーがコンテンツ提供をするYoutube等に非常に良く似ています。
 しかし、電気代がかかり、自由な支出が制限された方の中に「今月買いたいものが有るなぁ」そう思われる方々が出てきました。まずそう言った方が、Bitcoinどうしで買い物をし始めて、やがては一般ユーザーにも行き渡り始めました。丁度、1998年6月に科学誌Natureに掲載された、ダンカン・ワッツ,スティーブンストロガッツ氏による、スモールワールド理論を実証する様な形です。ケビン・ベーコンゲームにも似ていますね。 そうです、物との交換に使いたいと言う人が大勢居る存在は、例え紙幣だろうと硬貨だろうと、データで有ろうと、人や物品の交流を促す、貨幣となってしまうのです。これが、人間の編み出した経済の面白い所です。貨幣有りきになると、その限りでは有りませんが。 たとえば、世界中の人が欲しいと思う音楽のCDが仮に有ったら、その世界ではCDが通貨になったでしょう。
 さて、そんな暗号通貨、データ改竄して無限に増やせる懸念が有ると言われますが、貴方は世界規模で通し番号のチェックを行っているATMや銀行を騙す様な真似を出来るとでも言うのでしょうか。まず無理でしょう。
しかし、データの届き先即ち出金先口座番号に値する、アドレスを騙して横取りする窃盗行為は理論上可能ですし、それが疑われてる事件としてMt.Gox事件も有りますが容易な事では無いのは想像に容易いでしょう。
 又、
「違法薬物の取引に使われてると聞いたが大丈夫なのか」
と言った意見もよく聞きます。しかし、忘れては行けない事は
「誰が、いつ、何処で、幾ら、誰にお金を送ったのか。」
Who?When?Where?How much?Who catched money by who?
 言葉遊びみたいですがIPアドレスやGPSと紐づけしてしまえば、幾らでも貨幣の流れが追跡可能なのです。サイト等の管理人はIPアドレスを曝け出してるも同然ですから、容易に紐づけ出来ます。同時に、デジタル化したからこその薄気味悪さでも有ります。紐づけされてかは不透明ですが、事実アメリカでは、網の目状にそう言った犯罪に使った方が文字通り一網打尽にされました。IPアドレス等や、撮影された写真データに含まれる位置情報等も紐づけしてしまえば、麻薬取引犯等は簡単に捕まえる事が出来ます。それよりは、現金でのやり取りや、実際の宝飾品等による闇取引の方がよっぽど分かり辛いでしょう。
 たとえそうで無くとも、どの口座からどの口座に渡ったのかは全てのネットユーザーが閲覧可能な点は評価に値します。同時に、怖い所でも有ります。理論上は政治家の裏金すら追えます。例えば、献金窓口アドレスに入った貨幣が、大企業の重役のアドレスに流れてたら賄賂だとすぐバレるのです。もっとも、どのアドレスが誰のか言わなければ、こういった追跡はほぼ不可能です。
 ここまで、足跡の付き易い貨幣は今まで無かったでしょう。と同時に私が一番懸念するのは、こうした悪事を防ぐシステムを悪用して、仮に暗号通貨を切手の様に準通貨として国家が扱いだしたら、総監視社会の助けになりやしないかと言う懸念をしています。それ位に、悪事が出来ないのが暗号通貨と言う物です。先ほど述べた現金や、クレカはよっぽど犯罪に使われやすいです。
 その上無限には増やせず、欲張ろうとし出すと新規発行のライバルが増え取り分が減るシステム故に、人々の欲に制限を自動で設けてくれるのが暗号通貨です。利用者としてここを私は高く評価しています。毎年1億、2億稼いでも仕方が無い、年間1,000万円も稼げれば万々歳な位の心持が健全だと思います。
 又、貨幣の価値を高め、貨幣の桁数を根拠としない本当の価値を復権していく所は非常に興味深い所です。円高物安を進め、桁が大きいだけが貨幣じゃない、交換出来る価値を保存するのが貨幣の有るべき姿だと暗号通貨は再認識させてくれます。
 しかし、保存性はデータですから確かに機械に疎い人には使い勝手が悪いです。金や銀に似つつも、保存性が悪いのは利便性と等価交換だと私は考えます。しかし、万人が使えるとは限らないのもまだまだ未熟な点です。正直、日本のおさいふケータイやPASMOが便利すぎるのです。保存するのに、ペーパーウォレットと言う手段も有りますがかなり面倒です。数百万円のお買い物に私としては使わないですし、そんなにも持っていません。地元のシフォンケーキ屋さんの応援の為に、シフォンケーキが食べられれば満足です。
 そして、貨幣として際限を失った金融依存型資本主義に対抗しつつも、基本的には使われる事前提の存在で、根底から資本主義を否定してはいません。むしろ、ユーザー達はどんどん物を売って、使って、他人に渡す。資本主義の基本「お金は天下のまわり物」を実践して行っている位です。懐にがめるなんてしてると際限が無くなり、利用者間でも白けてしまい価値が下がるのがこれらの面白い所です。使わないとお金は腐るのです。
 そしてそんな資本主義的側面を持ちつつ誕生したこれらですが、何処か「他人の為に」使う事を前提にした共産主義や社会主義に近い所があります。物品の売買や労働に対する対価としての貨幣の交流はまだ良しとすると資本論は唱えてます。現在の暗号通貨の界隈はそれに近く、先述の様にユーザーが盛り上げようとしています。ただその上で、労働なみならぬ土地の売買等の不労所得も含めた資本主義的交流も行われています。これには、マルクスにレーニンもビックリかも知れませんが、購入しようとした方に皆で寄付してって、一つのお祭り事として日本人は集団で楽しみました。草を刈ったり、神棚を置いたり、手入れしたり、皆で何かをする農村的な共産主義の側面がそこには有ります。これが、大規模に国全体で国民の合意の元やってるのなら、理想的な共産主義と資本主義の共存関係に近いでしょう。牧歌的な資本主義生活です。
 これらの殆どは、個人のフリーマーケットの延長線上に存在していて、いわば原始的な資本主義でも有る訳で、資本主義と共産主義が対立した意味は何だったのかと私達に問いかけて来ています。
 ここまで長文を読んで頂きましたが、暗号通貨に関しては、発展途上で理解し辛い所も山ほど存在します。しかし、それらは技術的な話であって、
私達は
「貨幣とは何か」
「物価が上がるのは果たして良い事尽くしか」
「資本主義とは何か」
「社会主義と共産主義とは何だったのか」
ここだけでもせめて考えて、経済と向き合いましょう。
ここら辺について考える事は、中学生からでも出来るハズです。理解した上で利用するのなら暗号通貨のみならず、お金と上手く付き合えるハズです。私にとっても、他の貨幣や株式、投資、財政、様々な事が暗号通貨の出現によって、考え直す良い機会になりました。
 暗号通貨を使わなくても良いと考える方は、それも一つの考え方です。日本には便利なプリペイドカードが存在します。その上で、暗号通貨が出た背景を考えてみるのが他の所で良い答えを導き出すかも知れません。使わなければ分からない事も有りますが、考え無しに儲けようと使ったり、考え無しにねずみ講だと否定するのは暗号通貨,経済,金融,ねずみ講を理解したとは言えません。考えないでいるといずれ、何処かで足を掬われる事でしょう。それとも既に、妖艶で華美な経済の操り人形や、怠惰に動く歯車として資本主義の舞台を踊らされているかも知れません。
 資本主義が社会主義や共産主義を否定して失敗し、社会主義や共産主義がまた資本主義に対抗して失敗した様に、考えずに否定するのはもう止めましょう。何も考えずに感情で動く人になるのか、冷静に考え直して毎日を過ごすのか、私は後者をお勧めいたします。
執筆:WEAKNEWS管理人兼代表

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